ニュースをみて人の行動を考えてみた

伝え聞く情報はシンプルになっていて勝手に情報を追加してしまう。ミスリーディングに乗らないように情報追加していみる。

ChatGPT

ChatGPTがより長文を扱えるようになった。

米国の司法試験で上位合格できるようになったということで、多くの試験問題の文章を読めるのだろう。

SNSなどの短文ばかりで長文の読解ができなくなっている人が多い中、ChatGPTに要約してもらわないと意味がわからない人も多くなるのでは?

 

ChatGPTが人間のような応答をできるようになって人の代替になることを危惧している人が多いが、学習のもとはネットにある会話文など。

ChatGPTはさらに賢くなっていくだろうが、ネットの会話文などの学習で驚いてもらっては困るという状況では?

ChatGPTが人に近づいているという表現より、人のレベルが低下してChatGPTに追い抜かれつつあるという表現が正しいのでは?

 

将棋ではAIはAI同士で学習している状況と聞く。ChatGPTもChatGPT同士で学習するようになるだろう。人の感情部分は学習できないと思っていても、表情と喋り方でその人がどのような経験をしてきたかを人が想像して応答するように、ChatGPTも表情と喋り方でより正確に過去の経験を推定するだろう。そして思考のクセ、想定される反応から支障がない回答を人のようにするだろう。(なみかぜたてないのを感情というのなら)

 

おそらく学習に時間のかかる感情表現があるとしたら、文学作品を多く読み、感情表現が豊かな人の表現だろう。なんでもかんでも「やばい」というような単純な感情表現しかもたない人の表現学習など容易だろう。そもそも多く学習した人の表現の学習には時間がかかる。学習に時間をかけてない人の表現の学習には時間がかからない。

 

ChatGPTの学習にちゃちゃをいれるより、追いつかれないように人がもっと学習することを議論すべきでは?

人工知能

ChatGPTのニュースが多い。

会話するようにやりとりができる。

まだぎこちないとか、誤っているとか言う人もいる。

人は人工知能と違うと信じているが、学習できない境界はわからない。

 

感情というものが特別と思っていても、SNSやネット動画をみて一喜一憂している

人間の挙動を学習することなど人口知能にとって容易では?

 

近いうちに感情的な反応も学習されるように思う。

感情表現が特別だと思っている人が自分と同じ反応(発言)をする人口知能を

見た時にどう思うだろうか?

簡単に模倣される感情表現しかできていないことになる。

 

見たまま、聞いたままのことしか理解できない単純な思考能力。

容易には理解できないことを努力して理解しようとしなくなってしまった。

人口知能が人間を学習できないどころか、人間が人口知能の学習(努力)に

おいつけなくなっている。

 

結局、自分たち人間は人口知能より優れているという根拠のない

思い込みだけで自我をとりとめているだけになる?

ニュースのタイトル

見出しの問題

だいたい見出しと内容が一致しない

自分だったら1行しかないなら他の言い方をする

誘導するだけの記事は読まない

伝えたいことがある人の1行と誘導したい人の1行は大きく違う

1行の大切さがわからない人は無駄ばかりの表現

 

ネット動画

経済、国際政治、健康系の動画をよく見る。

興味があると似たような内容でも見ている。

この視聴の仕方は問題と感じる。

 

作り手は再生回数の多い動画を見て真似すれば良いだけになる。

意見を発信する事に意義をみている配信者は良いが、多くは利益目的で論理的というより感情的。

 

配信者が動画を無料で登録して再生回数で儲けるというビジネスでは視聴者側は一方通行の情報を鵜呑みにさせられるテレビと同じになると思う。

 

配信する事にお金を払う価値を見つけられる配信者の動画は視聴者側に価値があると思う。

 

ネットの掲示板

ネットのコメントは好き勝手に書き込んでいるはずだが、

ほとんどは読むだけで誰が書き込むのだろう?と思っていた。

 

最近思うのは好き勝手に書き込んでいるのではないということと、

組織的な書き込みだろうということ。

 

ネットは嘘情報で溢れているはずなのに、一方の情報は嘘でもほとんどない。

以前は対立する情報があったが、なくなっている。

ネットなのに統制がとれていることが不自然。

 

ネットは無法地帯というイメージもおかしな話で

昔の映画の刷り込みで自由な言論空間と思ってしまう。

同じ表現

選挙結果のニュース

「想定より勝てなかった」というのは「想定より勝てた」と同じ。

視点の違いだが、ニュースでは「想定より勝てなかった」という表現一色。

明らかに片方をけなしている表現だが、不思議なのは

肩をもっている方をほめる「想定以上の勝利」という表現を使わないところ

おそらく、「想定以上の勝利」をつかうと”想定”という基準点を

都合の良いように設定していることがバレるのだろう。

”想定”していなければ、ポジティブな要素はない。

悪い結果を見えなくするためには想定を悪くしておけば良い。

たとえば、負ける試合の前に「歯が立たない」という表現をつかっておけば

普通の”負け”という評価が”善戦”という言葉に変わる。

 

「想定より勝てない」という相手をけなす表現でなく、

「想定以上の勝利」という言葉を使えないところが病んでいる。

あおり情報

テレビやネットで同じ情報が大量にながれていると”煽り”というイメージ。

最近は”円安”という言葉。

 

昔は為替は操作できない(しようとしても無駄)という話をよく聞いた。

最近は中央銀行が介入することに反論がない。

今と逆で「為替は操作しない」という情報で煽っていたのだろう。

 

感覚的には経済学ではどちらに進んでもメリットとデメリットがあるのだろう。

結局、煽った方向に進むだけでは?(別に良い選択というわけではない)

 

人は一度受け入れた情報は、疑わず擁護して引き返せなくなる。

擁護していたのに、間違っていたとなると精神的に不安定になる。

同じ情報で一色にするにはコストがかかるだろうが、効果があるのだろう。

利益しか考えていないのに、「世のため、人のため」というスタンスで

煽り情報を拡散するメディア系の従業員を冷静にみると滑稽な人たち。