参議院選挙が近づき、さまざまな議論を聞くことが多くなる。
議論の基本は価値観の違いを認めた上で妥協点を探すことと考えている。
しかし、独自の価値基準以外認めない状況もある。
独自の価値基準以外認めないスタンスはハイリスクだと考える。
情報少ないときは矛盾がなく強気になれるが、反例が出ると逆ギレするだけ。
車を運転しなければ最高の安全を提案できる。
でも自転車を運転しているのでは?(車の議論が自転車に波及しないと思う?)
結局、議論は互いに取引するものがあるときに成立する?
取引するものが無いものが議論しても、自由を制限して満足するだけでは?
自由を訴える政策と自由を制限する政策のどちらが多数になるかで
社会の健全さがわかる。
自由という観点からは互いに大差ない集団で互いを制限しあって、
すでに自由を満喫している特権階級?には全く影響がない。
ある程度自由を奪えば、あとは集団が勝手に互いの自由を制限しだす。